ゴリゴリゴ

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"11歳少女を監禁していた男も怖いが、その男がスーパーで「1人暮らしなのに2人分の量を買い物していた」とか「お菓子をいっぱい買っていて怪しかった」とか、他人の買い物の内容をウォッチしている住人がいるというのも結構怖い"

- Twitter / yutann_99: 11歳少女を監禁していた男も怖いが、その男がスーパーで「1人 … (via wideangle)

(via nakazyo)

"ちびっ子に否定語は使わない"

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と教わった。立たないで、じゃなくて「座って見てね」。走らないで、じゃなくて「ゆっくり歩いてね」。ネガティブな事を言わないのはもちろんだけど、否定だけだとじゃあどうすればいいかご伝わらないんだな。毎日の事だと、難しいけど。

Twitter / kitano ayako (via deli-hell-me)

ちびっ子に限らず

(via ultramarine)

(via nakazyo)

"私は根拠のない話がなにより嫌いです。『怒る!日本文化論』を執筆する際にも、明治から現在までの新聞雑誌で報じられた体罰に関する大量の記事の、かなりの部分に目を通しました。
 その作業でわかったのは、現実の体罰には爽快さや痛快さのかけらもないということ。体罰や暴力をふるう人間は、例外なく、すべて卑怯なクズ野郎だということです。断言してもいい。例外はありません。平気で暴力をふるえる人間は、どんな地位や肩書きを持っていようと、どんなにえらそうな理屈を並べようと、100パーセント、クズ野郎です。まともな人間なら、一度でも暴力をふるってしまったら、強い後悔の念に苛まれます。何人も何度も殴って平気な顔をしていられる人は、どうひいき目に見ても、まともとはいいがたい。
 過去の体罰事件を検証すると、共通するパターンがあることに気づきます。体罰によって生徒がケガしたり死んだりして裁判になると、その途端、体罰教師たちはみんないい逃れをし始めるのです。「数発叩いただけだ」「軽くはたいただけだ」などと、過少申告をします。
 もし本当に自分の教育理念に自信があるのなら、体罰は正義だと信じているのなら、裁判になっても堂々と「私は30発殴りました。それが教育上有効だと信じているからです」などと主張すればいい。信念を曲げることなく裁判でも体罰の有用さを主張すればいい。なのに現実には、みんな罪を逃れるために、ウソをつき、こそこそと自己保身に走ります。それこそが、彼らに最初から信念も思想も愛もない証拠です。"

- 体罰を礼賛する者の本性反社会学講座ブログ (via katoyuu)

(via otsune)

highlandvalley:

Twitter / xxxtks: キューキュー鳴くからなにかと思ったら自分のオモチャに向かって …

(via tokori)

7at1stroke:

オフィスのエレベータ横にあるステンレスのゴミ箱が、光学迷彩化している…。

(via tokori)

"生産性の低さとはズバリ「決めないこと」が原因"

- 仕事の9割は月曜日に終わらせる! / 中島孝志 (via ebook-q)

(via nakazyo)